これだけの好条件なのに、なぜ妻は離婚してくれないのか?(夫からの離婚)

これだけの好条件なのに、なぜ妻は離婚してくれないのか?

 調停委員へのプレゼンテーションの方法を知り、自分自身にしっかりと向き合い、ある程度の法律知識も身に付けたうえで行うのが、「ネゴシエーション(交渉)」です。

交渉について、次のような質問をよく受けます。「僕は完璧な資料を準備し、言葉遣いも含めたすべてのことに気をつけて交渉したのに、『離婚したい』という、たった1つの要求を妻にも調停委員にも聞き入れてもらえません。どうしてでしょう。十分な条件を提示したのに、それ以上の条件を出せと妻から言われていますが無理です。どうしたらいいんでしょうか。」

結論から言えば、「たった1つの要求」だからこそ、妻には受け入れられないのです。

彼の要求は離婚成立のみ。それ以外は、すべて妻側に有利な条件を出したと言います。

彼が出した条件は、預貯金をすべて妻の名義に変更する。ローンを完済した自宅は妻に明け渡し妻名義に変更する。子どもの親権は母親。一人娘の養育費は月額8万円。娘にかかる学費は必要な時に請求したものを彼が全額支払う。銀行から借入して1000万円の慰謝料も準備している。離婚が成立するまでは別居とし、婚費月額50万円を振り込む。

まったく、なんていい夫なんでしょう。これでは、妻は離婚に応じないまま、自宅名義を妻自身に書き換え、預貯金をすべて手元において、婚費50万円を受け取り続けるという道を選択したくなるでしょう。

では、なぜ好条件であるにもかかわらず、妻は離婚を受け入れることができないのでしょうか?

それは、妻が夫を愛しているからではなく、あまりの好条件を提示してきた夫に対して、一度は深く憎しみを抱き苦しむからです。「財産をすべて投げうって借金してまでわかれたいのか。ただ1つの望みである離婚だけは絶対に成立させてやらない」と逆に意地になるのも当然といえます。さらに言えば、「夫が好条件を出していたタイミングで別れておけばよかった。その後、どんどん条件が悪くなってしまった」と後悔するのも妻たちの常ではありますが。

相手に「勝たせ」、自分も「勝つ」

 離婚は、結婚の失敗という意味においては、夫も妻も「負け」です。その負けを少しでも減らしたいがために戦うことが、調停をはじめとする係争です。「負け」からスタートするからこそ、相手に「勝ち」を与えるのが交渉のうまいやり方であることを心得ましょう。

したがって、ただ1つの項目だけを提示するより、はじめは3~4項目の要求を行い、交渉の途中で、そのうちの2~3項目を相手へ譲るつもりでスタートすることです。交渉の入り口で、あらかじめ相手に「勝たせる」項目を織り込んだ要求内容を提示することによって、最終的にあなたが望む「最優先事項」の要求を通すことができるのが「交渉」の真髄であると認識してください。

条件提示を複数にすることによって、話し合いに同席する調停委員も、調停終了の目処を立てやすくなります。複数の要求の中から、あなたが「勝ち」としている望みをかなえる決着に向けて、調停委員は、少しずつ相手方にも「勝ち」を渡しながら説得を試みてくれるでしょう。このようなアプローチをとることによって、調停委員をある意味では味方につけることもできます。

このことはけっして過大な要求をふっかけろと勧めるものではありません。調停では、自分の要求が100%通るわけではないことを理解した上で、40~60%の要求が通ることによって、自身も「勝った」気持ちを味わうことができるし、相手も60~40%の「勝ち」を得ます。ケンカ両成敗ではなく、相手に「勝ち」を渡して自分も「勝つ」交渉を行います。

自分の要求内容が相手の要求と衝突するとき、さまざまな要素を考慮してお互いの受け入れ可能な合意点を探ります。たった1つの相違点しかなければ、妥協点を見出すのは困難ですが、いくつかの食い違いがあれば、双方にそれなりにメリットのある、あるいは落としどころとしての合意を見出しやすいのです。そのためにも、初めからあらゆる点を諦めて1点集中型の要求をするよりも、多数の相違点を抱え込んだまま交渉を進めて、しなやかに合意を見出すという交渉態度が望まれます。

離婚を成立させるための交渉術

 夫が離婚を希望する場合

「離婚しやすい」条件とは

 好条件を持ちかけたにもかかわらず、初回調停で妻から「離婚拒否」の意思表示をされた夫は不安になります。今後調停の回数を重ねても、婚費などの別居条件だけが確定して、離婚は成立せずに調停を終えるのではないかという怖れです。たしかにその可能性もあります。では、彼が離婚を成立させるためには、どういった要求をすればよかったのでしょうか?

 夫の実際の提示  交渉のための要求
①離婚する ①離婚する
②預貯金をすべて妻の名義に変更 ②預貯金は夫と妻で折半にする
③自宅は妻の名義に変更(ローン完済) ③自宅は妻が評価額の半額で買い取る
④慰謝料1000万円(銀行借入) ④慰謝料なし
⑤子どもの親権者は母親 ⑤子どもの親権者は母親
⑥一人娘の養育費は月額8万円 ⑥一人娘の養育費は月額4万円
⑦娘の学費は請求に応じて全額支払う ⑦娘の学費は別途協議で決める
⑧離婚成立まで婚費月額50万円 ⑧離婚成立まで婚費月額18万円
⑨別居の場合は夫が家を出て賃貸独居 ⑨別居の場合は妻子が実家へ戻る

左の「好条件」要求では、妻が離婚しなければならない理由が存在しません。「多額の金を払い、借金を抱えてでも別れたい」という夫の気持ちに対して、憎しみを抱くだけです。その結果、「夫が一人でアパートに引越し、毎月50万円を確実に受け取ることができるのであれば、私は離婚しません」となります。夫の要求内容が、まるで妻の発言を誘導したかのような結果です。

では、右の「交渉のための」要求ではどうでしょうか?初回調停で、夫から右の内容の要求を受けた妻は、こう考えます。

「冗談じゃないわ。離婚なんかしない。預貯金が半分しかもらえなければ離婚後の生活だってままならない。預金半分と慰謝料100万円を合わせても、自宅を買い取る金額にはなりそうもない。といって名義は夫のままだから、離婚を避けて別居となったときには、娘と私が実家へ戻って娘を転校させなければならない。親権は私が得るのは当然だが、養育費4万円では公立学校へ転校せざるをえなくなる」

妻は不安になります。この不安感情を引き出した後に、調停の回数を重ねながら、①~⑨の項目について少しずつ夫が譲歩をはじめるのです。また、調停委員が、妻の利得を守るスタンスを取ってくれた場合は、「ご主人の言い分は一方的すぎますね、もう少しなんとかならないか説得してみましょう」と伝えてもらってもいいでしょう。

 夫が譲歩しながら行う交渉のステップ

  • 離婚する……これは、終始一貫変わらない条件として、毎回調停入室時に、調停委員へ向け繰り返し伝えます。
  • 預貯金を折半にする……この条件も調停3回目までは絶対に譲歩しない覚悟で申し出ます。最終的に離婚成立となるときには自宅を妻子に明け渡す予定であるため、離婚後の生活準備金として確保するためにも譲歩することはできません。
  • 自宅は妻が評価額の半額で買い取る……調停で自宅の財産分与を考える場合は、購入額ではなく現在売買される不動産評価額を基準とします。自宅については、2回目以降の調停で譲歩の姿勢を見せます。おっとがそのまま自宅へ残るのであれば、不動産評価額の半額を分割で支払います。交渉の最終段階において、夫から「別居期間なしで即離婚成立であれば」という「条件」で、妻に自宅を譲る提案をしてもいいでしょう。ただし、これは微妙なニュアンスなので、調停委員からニュアンスどおりに妻へ伝えてもらえるように気をつけることが大切です。同席し直接伝えてもいいです。
  • 慰謝料なし……不動産を譲ることをほのめかしても妻が離婚に応じない場合には、一度だけ慰謝料の額を提示してみてもいいです。提示する金額は、預金残高と不動産評価額を参考に弁護士などに相談して目安となる金額を事前に決めておきましょう。
  • 子どもの親権者は母親……現在の調停では母親の親権が有利となっているため、この点について交渉を行っても徒労に終わる確率が高いため、「親権者は母親」との条件提示のままにします。ただし、妻が極端に高額な養育費請求を行ってきた場合には、「養育費を支払うことができないから、親権者となって子どもを育てていきたい」と主張することも考えます。
  • 一人娘の養育費は月額4万円……⑤の「養育費の要求が高額ならば自分で育てたい」と主張することによって、高額すぎる養育費をセーブすることができます。ただし、最終的には夫の収入に見合った範囲で金額を上げることも考えます。
  • 娘の学費は協議で決める……離婚成立後、娘の成長にあわせて必要になる学費の分担については、そのつど父親と母親が協議して決めることを約束します。
  • 離婚成立まで婚費月額18万円……あまり積極的に別居や婚費提示を行わないほうがいいでしょう。別居することによって離婚成立までの時間が長くかかる場合もあるからです。しかし逆に、夫自身が家を出て別居することによって、夫婦関係の修復が困難であることを妻や調停委員などの第三者に対して行動で伝えることができる場合もあるので、様子を見て慎重な言動を心がけましょう。
  • 別居の場合は妻子が実家へ戻る……別居と同様に、夫からあまり具体的な提示は行わないほうがいいでしょう。夫の希望は「離婚成立」であり「別居」ではないことを忘れないようにしましょう。妻側が強く別居を主張してきた場合は、子どもを転校させることの不安を説きます。 

意志が固いことを伝え、相手に「交渉してよかった」と思わせる

 日本の離婚では、夫からの離婚申し出は、経済的弱者を放り出すという格好になるためか、妻からの離婚申し出よりも困難という面もあります。したがってはじめから良い条件を出しすぎないように気をつけましょう。

ようするに、妻が「離婚交渉を行ったことで得をした」と受け取ることができる調停の運びとなることが大切です。そのためには、夫自身が妻に直接良い条件を提示するのではなく、調停委員に花を持たせる気持ちも必要です。

調停委員から妻へ「夫がもう少し良い条件を出すように説得してみましょう」との発言があれば、妻は調停委員への信頼感を持ち信頼します。信頼を得た調停委員が、調停回数を重ねるうち、妻に対して「夫の離婚意志は固い。今のうちに離婚を決めたほうが経済的に有利だ」とのニュアンスで離婚条件を伝える方向に進むことができれば、妻は、「調停委員の援助によって夫に譲歩させて良い条件を勝ち取った」と満足を感じられます。

この方法によって調停委員は、夫にも妻にもいくらか「味方」したかたちを取ることができるので、双方がある程度の満足を得て調停成立に向かうことができるのです。