ご案内「暮らしの相談について」

人生の意味への問いに対するコペルニクス的転回

われわれが世界体験の本来的構造に立ち戻り、それを深く熟考しようとするならば、人生の意味への問いにある種のコペルニクス的転回を与えなければならない。

すなわち、人生それ自身が人間に問いを立てているのである。人間が問うのではなくむしろ人間は人生から問われているものであり、人生に答えねばならず、人生に責任をもたねばならないものなのである。そして、人間が与える答えは、具体的な人生の問いに対する答でしかありえない。現実存の責任のうちにその答は生じ、人間は実存そのものにおいて彼固有の答を遂行するのである。

ここで発達心理学も意味察知は意味付与よりも高い発達段階にあることを示しているとしてもおそらく的外れではないだろう。

われわれが先に論理的に展開しようとしたことは心理学的発達にそのまま対応しているのである。それは一見したところ逆説的に思われる問いに対する応答の優位ということである。この優位は人生から問われたものとして自分を体験したことのある人間の自己体験に基づいている。すでに述べたように、人間をその最も固有の人生の使命へと導くのと同じ直感が、人生からの問いに責任を持って答える際にも人間を導くのである。

この直感とは良心にほかならない。

良心は声を持ち、我々に語り掛けてくる。これは議論の余地のない現象学的事実である。このような良心の語り掛けは、しかし常に答えとして生じるのである。ここで明らかになるのは、宗教的人間とは心理学的に見れば語り掛けられる者として語り手を体験する人間であり、したがって非宗教的な人間よりもいわば聴覚の鋭い人間であるということである。自分の良心との対話においては、すなわちこの存在しうるかぎり最も親密な独白においては彼の神が彼の相手なのである。P.132